総説「眼瞼」(日本の眼科 77(4):415-419, 2006 )
Achievement
総説「眼瞼」
井出 醇
「日本の眼科」77:4号(2006年)別刷
(2006.4.20発行)
社団法人 日本眼科医会
※ 本総説は(社)日本眼科医会のご好意により掲載しています。
要約
まず眼瞼の発生について簡単に述べた。
次に眼瞼の解剖では現在の挙筋腱膜についての elastic fiber network(EFN) の考え方について述べた。下垂については今や眼科医も無視し得ない「松尾理論」について自己流に紹介した。驚くべき努力であるが、理論の手術への応用についてはまだ混乱がみられるように思う。
はじめに
単純なことをいえば、健眼に比べて下垂量が1~4mmの間で、挙筋機能が8mm以上の加齢性眼瞼下垂は、眼瞼中央部で挙筋腱膜を露出し、それを引き出してきて一針だけ瞼板上部に tuck すれば容易に矯正できるという考えもある。その場合でも現在、眼瞼形成外科的には挙筋複合体(眼瞼挙筋と挙筋腱膜とミュラー筋の三者の総称)の付着部は複雑多岐に亘る弾性線維の網状構造 (Elastic Fiber Network 以下EFN)をなしているという考え1)なので、この組織解剖学的な理解をした上で、症例に合った適切な下垂手術を行うとさらに良いといえるだろう。
また一側の後天性下垂を矯正すれば、シーソーのように今度は他側が下垂してしまう問題もある(この機序は両側の上眼瞼挙筋にヘリングの法則 2)を当てはめて説明される)ので、生理学的な知識も求められるようになった。
ところでこの企画では、手術の実際については眼科医、形成外科医それぞれの立場から、別項の著者らが具体的に述べるので、ここでは眼瞼手術、特に下垂手術に参考になりそうな発生、解剖、生理、病理などについて、総論的に出来るだけ平明に述べて私の責を果たさせていただきたいと思う。
さて1977年に Anderson らが彼らの有名な論文「眼瞼挙筋の腱膜について」の中で「後天性下垂では上眼瞼溝の溝が深くならずに、ただ重瞼幅が高位になっていくのは何故だろう」と書いた。その理由については最近(といっても既に10年になるが)Stasior 1)によってスマートな組織解剖学的な解答が示唆された。
またその翌年の1978年に Collin らは彼らの論文「上眼瞼挙筋挿入枝に関する実験的および臨床的データ」の中で、上眼瞼溝について「生理食塩水を注入したり、眼瞼浮腫を起こせば簡単に消失し、腫脹が消退すればまたぞろ出現するのはなぜだろう」と疑問を呈した。これに対する理由も同じ Stasior によって与えられ、この百年の長きに亘って挙筋腱膜には眼輪筋穿通枝があるかないかという論争に決着が付けられたような状況である。
I. 眼瞼の発生
まず眼瞼の発生について簡単に述べる。眼瞼挙筋を含む外眼筋は眼球前面に広がる中胚葉から発生する。そして挙筋は上直筋の中央面上に上直筋から分かれて分布するところの線維から最後に分化し、上直筋の上に位置するようになる。このような挙筋の二次的な起源と遅れた発生は挙筋が欠損したり、両者の異常が同時に発生する理由となる。また挙筋が下方に向かって成長すると、その先端で眼窩隔膜を眼輪筋のほうに押し付けていき、腱成分を眼輪筋の筋束の間に出すと同時に先端は眼板下部1/3に付く。(図1)
眼瞼は中胚葉性輪状隆起から発生し、上下眼瞼は胎児9週から胎生7ヶ月までの間癒合しているが、その後分離する。上眼瞼の中胚葉成分は、後に2部(内、外側鼻隆起)に成長する前頭鼻隆起から発生する。これらの構造の発生学的欠損は眼瞼の切痕や真性眼瞼欠損をもたらす。下眼瞼も同様に上顎突起の上方成長から形成される。外胚葉の外層は皮膚に、内層は結膜になる。睫毛と分泌線は眼瞼から離れるように上皮が内部に成長したものである。外胚葉性細胞芽が成長し涙腺を形成する。
II. 眼瞼の解剖
次に眼瞼の解剖に移る。図2を見ていただきたいが、挙筋は眼球後方からおこり、眼窩口上縁より少し奥まったところにある上横走靭帯(Whitnall靭帯)のトンネルを抜けるあたりから徐々に筋成分を失って挙筋腱膜と呼ばれる結合識に変わる。下垂眼瞼の組織検査をすると、病理学的に先天性下垂では横紋筋の筋原線維の変性、ミトコンドリアの増殖、後天性では膠原線維の菲薄化がみられる。
腱膜は腱の膜状に広がったものの一般名であるから挙筋腱膜というのが正しいが、眼科医の間では腱膜と略称されることも多い。
挙筋腱膜の結合識は主に膠原線維からなる。付着部は瞼板の下部1/3の範囲といわれる。詳細には前面は瞼板前の眼輪筋後筋膜に、後面は瞼板前面の下1/3にと前後両面に付着している。
また眼窩隔膜は眼窩口上縁の骨膜から起こって線維脂肪組織(=Fibroadipose Tissue 以下、FAT)と眼窩脂肪との間を下降してきて、途中で腱膜と合流する。その高さは瞼板上縁より数ミリ上である。
この状況は腱膜という本流に眼窩隔膜という支流が流れ込む形と考えてよいと思う。一般に合流部は結合識が厚くなっていることが多く、靭帯のようにみえる。
合流部より末梢では腱膜と隔膜とは混然一体となって眼瞼中央部を下降する。この組織は「Schwalbeの中央部結合識」などと呼ばれることもあった。東洋人では眼窩隔膜の手前、すなわち浅層には前述の如くFATが下降してきており、その中に少なからず脂肪組織も含まれるのでFATと眼窩脂肪とは混同されやすいので注意しなければならない。
III. Siegelの結合筋膜
次の図3は Siegel の論文 3)からの引用であるが、合流部で眼窩隔膜を受け入れた腱膜はFATの下を通って、さらに下降すると今度は瞼板前眼輪筋の後筋膜全体と結合するという考えを示した図である。この最初の接点が Siegel のいう結合筋膜(Conjoined fascia)の始まりである。
Siegel は上眼瞼溝は眼瞼内部で起こる眼輪筋後筋膜と腱膜の板状癒着の結果できるのであって、腱膜の眼輪筋穿通枝などはないと考えていた。現在では「穿通枝あり」と考えられているのに Siegel の結合筋膜などを紹介していたずらに読者に混乱を与えるばかりだと思われるかも知れないがそうではない。彼の考えは「穿通枝なし」の点以外は大方の研究者に受け入れられているのである。
IV. 経皮的な腱膜前面露出法
経皮的アプローチで下垂手術を行う時は、まず結合筋膜を外さなければ合流部は出せないと認識させた点で結合筋膜の意味がある。
すなわち経皮的アプローチでは、これも図3の赤点線を見ていただきたいが、まず(1)の如く上眼瞼溝の近くで皮膚に水平切開を加え、瞼板前眼輪筋の下面の深さに到達する。次いで(2)の如く上昇して(3)の如く瞼板上縁の高さで結合筋膜を切開する。そしてFATと腱膜の間に入る。次に(4)の如く眼科隔膜と腱膜の合流部を再び切開する。そうすれば薄い脂肪被膜に包まれた眼窩脂肪が透見できる。それをデマルで上方に持ち上げて見える組織を腱膜前面と理解すればよい。これがスマートな腱膜前面の出し方である。
以前の教科書には眼窩隔膜と腱膜の合流部は切り離さないと「腱膜前転」のつもりが、「眼窩間隔前転」となって危険な兎眼を生ずることもあるとしっかり書いてあった。
V. EFNの構造
さて光顕の連続切片の特殊染色、さらにその電顕による確認によって腱膜の付着部を3次元的に調べ上げたのが Stasior である。図4をみてほしいが、彼は膠原線維からなる腱膜が末端で弾性線維としっかり結びつき、弾性線維は豊富で複雑な網状構造を成して立体的に広がっていることを突き止めた。
腱膜の膠原線維は主に瞼板に付着しているが、別の付着枝として隔膜・腱膜合流部より発する多数の弾性線維が認められ、それはFATの底部と接しながら瞼板前眼輪筋の後筋膜に達する。この弾性線維、後筋膜、腱膜で出来る三角形の部分を Siegel は結合筋膜と呼んだが、この結合筋膜の弾性線維の先端は、さらに瞼板前眼輪筋の筋束間を穿通して、上眼瞼皮下に達し、これが上眼瞼溝の源になるのである。また、瞼板前面を下降する弾性線維からも引き続き筋束間を通過する弾力線維の枝が少しずつ出ている。
こうした弾性線維の網状構造は、「張力の大きさに関与するといわれる膠原線維」にはみられない、付着部の「弾性」および「反発力」という弾性線維の特性を生じ、このことが皮下に生理食塩水を注入した時に上眼瞼溝が出没することの説明になるのではないかという。
同様に加齢による弾性線維の変化は、日光による損傷と違って、弾性線維の数と直径の減少を生ずるといわれるが、このことが弾性線維の機能を低下させ、その結果、結合筋膜の完全性を損なうことで、上眼瞼溝の高さの変化が説明できないかともいう。
VI. ミュラー筋
挙筋腱膜はこのくらいにしてミュラー筋に移る。腱膜の後面に寄り添うように拳筋末梢の腹側から起って、瞼板上縁までの10~12mmの距離にこの平滑筋は存在する。後述するが Putterman は約15mmあるといっている。これまでは下垂眼であってもミュラー筋には病理的な変化が認められないので、手術の際にはなるべく温存したほうがよいと教えられてきた。しかしミュラー筋と瞼板との間に腱が存在する(図4のMMT)ことがわかり、しかもそれが下垂眼では0.5~1.5mmの範囲で変化し、かつ加齢による脂肪沈着の増加に伴って、細くなる傾向があるといわれる。
次にミュラー筋の役割についてだが、こちらも眼瞼挙上の最後の2mmに寄与し、開瞼の緊張を維持すると教えられたが、最近では瞼板に挙筋作用を伝達するのが主な仕事であるとか、拳筋とひと続きの大きな筋紡錘のような働きをするものとかいわれるようになった。後者の説はいわゆる「松尾理論」といわれるもので、自己流に理解させてもらえば彼の第1論文 4)は、『開瞼を保っていられるのは、拳筋のうちの赤色筋の強直性収縮によるもので、それはミュラー筋の中にある機械的受容体が連続的に伸展刺激によるインパルスを中枢に向けて送り続けているから出来るのである。言い換えれば、ミュラー筋には求心性神経の発信器がありなおかつ中枢に向かう回路もあるはずである』という仮説の提案である。彼らは続く第2論文 5)でその存在を証明できたとした。すべからく眼科医も彼の論文 4,5)を熟読し、検証する必要があると思われる。
また彼の理論に従えば眼瞼手術の際には拳筋の不随意収縮を保護するために関係ある神経線維を手術によって損傷しないようにしなければならないという。
VII. ミュラー筋結膜切除術
ここで Putterman の「ミュラー筋・結膜切除術」を登場させる。話が少し古くなるが、Putterman は1984年に AAO の Wendell Hughes 記念講演で、「上眼瞼下垂治療におけるミュラー筋:10年の回顧」を発表した。その中で彼は下垂眼が10%塩酸フェニレフリン試験(以下、フェニレフテスト)で正常まで拳上すれば、矯正にはミュラー筋を6.5~9.5mm切除すればよいと述べた。これはミュラー筋の長さを15mmとして43~63%、10mmとすれば65~95%切除することになる。少しミュラー筋を傷めすぎる感じである。
さらに2003年には Lake ら 6)が同じようにフェニレフテストで陽性の下垂患者のミュラー筋を直視下で亜全的(11mm長のうち9mm切除するという)したところ、良好な結果を得たというエビデンスを示した。彼らによれば上円蓋部に1~2mmのミュラー筋の根部を残すだけといっている。そしてその作用機序として彼らがいうには、第1に考えられることはミュラー筋が十分に伸ばされ(瞼板に縫着されるので)、拳筋に伝達される伸展反射が極端に増強されたからうまく行ったか、第2には直視下で手術を行ったので確実にミュラー筋が切除でき短いミュラー筋を引き出したのに連れて、拳筋本体も確実に前転できたから好成績が得られたのであろうと述べ、彼らは後者の説を取りたいとした。ところが2004年になって同一グループの Heather が、フェニレフテスト陰性の20眼瞼についても同じ手術を行い、良好な結果を示し手術が成功した理由も全く Lake らと同じで間接的に拳筋を確実に前転できたことにあるのだろうとした。
VIII. 松尾理論、フェニレフテストについて
松尾理論では求心性の機械的受容体は、ミュラー筋の中枢寄りに多いというから今回引用した3つのエビデンスは、必ずしも松尾理論と矛盾するものではないかも知れないが Lake らの術式はミュラー筋も含めた拳筋複合体全体に対する侵襲が多すぎるという点では相容れない問題も含まれているのではなかろうか。
一方、フェニレフテストを術前診断の参考とするという Putterman 一派に対しても、フェニレフテストに使われる塩酸フェニレフリンは、アドレナリンα1作動薬であり、Esmaeli-Gutsteinらによれば、ミュラー筋にはα2受容体が優勢に存在するというから、α1作動薬であるフェニレフテストではミュラー筋の活動を完全に正しく評価しているか疑問であるともいう。
おわりに
以上のように眼瞼下垂についてはまだまだ不明な点が多い。上眼瞼のいたるところに出没する不可思議な平滑筋、また Whitnall 靭帯は拳筋の背中を吊り上げているのではなく、拳筋を袖状に包んでいると思われる点など、まだまだ書きたいことも多い。今回は下眼瞼について一言も触れることができなかった。しかしこれまた上眼瞼に劣らず興味深い分野なのである。
文献
1) George O, Stasior, Bradley N, Lemke, Ingolf H, Wallow, Richard K, Dortzbach: Levator Aponeurosis Elastic Fiber Network, Ophthal Plast Reconstr Surg 9:1-10, 1993.
2) Dale R.Meyer, John L. Wobig: Detection of Contralateral Eyelid Retraction Associated with Blepharoptosis Ophthalmol 99:366-375, 1992.
3) Richard Siegel: Surgical Anatomy of the Upper Eyelid Fascia, Ann Plast Surg 13:263-273, 1984.
4) Kiyoshi Matsuo: Stretching of the Mueller Muscle Results in Involuntary Contraction of the Levator Muscle, Ophthal Plast Reconstr Surg 18:5-10, 2002.
5) Shunsuke Yuzurilha, Kiyoshi Matsuo, Yoshimasa Ishigaki, Niroh Kikuchi, Kyutaro Kawagishi, Tetsuji Moriizumi: Efferent and afferent innervations of Mueller's muscle related to involuntaly contraction of the levator muscle: important for avoiding injury during eyelid gurgery, Br J Plast Surg 58: 42-52, 2005.(電子版は2004年)
6) Lake S, Mohammed-Ali FH, Khooshabeh R: Open sky Mueller's muscle-conjunctiva resection for ptosis surgery, Eye 17: 1008-1012, 2003.