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井出眼科病院の歴史

Achievement

井出眼科病院の紹介

山形県は、口を大きく開いたパンチパーマのおにいさんの右向きの横顔に似ていて、山形市はその耳の孔のあたりに在ります。井出眼科病院本院は、東京駅より山形新幹線で2時間半、駅より歩いて5分。分院は山形市よりさらに奥羽本線で1時間、60キロ北の新庄市に在り、こちらは徒歩3分。いずれも別名を「駅前眼科」といいます。

当院の歴史

初代の井出六郎は、一高、東大、同大・眼科(石原忍教授門下)、東京専売病院を経て、昭和25年に新庄市に眼科診療所を開設しました。二代目(筆者)は、新庄北、東北大、同大・眼科(桐沢長徳教授門下)

東京警察病院形成外科、山形市立病院眼科を経て、昭和48年、市内に沼沢井出病院(内科眼科)を創立。その後若干の変遷の後、現在の井出眼科病院・本院(30床)、井出眼科新庄分院(無床)、及び沼沢胃腸病院(38床)に落ち着きました。

医師及び職員

眼科部門の常勤医師は写真下のように6名、外に非常勤医師が2名、全員卒業後5年以上の油ののった者ばかりです。(ただし院長は少し油が切れかかっている)職員は49名、うち検査12名(井出コンタクトの社員が別に4名)。

診療及び研究内容

外来患者は一日300~400名、症例は豊富で全ての分野の疾患をみることができます。地域の2次病院のはしくれとして、他の病医院より患者を受け入れる義務があるのですが、同時に私的医療機関の悲しさ、リスクの多い治療を行うことが難しい制約もあります。従って手術は他の単科眼科病院と同様IOLが主体で、それに本院の特徴である眼瞼の形成手術の2本建てになっております。ちなみに12月初めで締めた平成5年度の手術件数は1104眼で、CAT718眼(CATのみ6、CAT+IOL668、IOL二次挿入44)、眼瞼の形成手術(退縮性下垂など)106眼、その他(Gla、斜視、硝子体手術など)105眼、外来手術175眼となっています。全身的な管理を要する入院症例は、どうしても総合病院や大学にお願いすることになります。

研究のテーマは、井出、猪股(美)、八木グループは眼瞼の形成手術で、この数年aponeurotic repair surgeryについての仕事を続けており、基礎的研究は山大の解剖や放射線科のご援助を受けています。一方真野、久保木、猪股(健)グループは、IOL の臨床的研究で発表を行っています。

大学や地域開業医との連携

私どものような小病院は、他病医院との連携なしにはなりたちません。当院は山大、東北大、京都府大、大阪市大の関連病院として種々のご指導を受けるとともに、院長は山大では学生の講義、東北大では新入医局員の講義を担当、京都府大からは八木先生が形成手術の研修にこられています。また東歯大・市川総合とは角膜移植で、国立仙台とは斜視の関連で……といちいち挙げると切りがありませんので止めますが多くの方々に助けられています。

病院の教育体制

馬嶋先生門下の真野副院長は、東北では5指に入るPhacoの名手であり、久保木先生は1ady's surgeonの会の一員として活躍中です。両猪股先生ともPhacoがうまいのは症例が多いので自慢になりませんが、all-aroundに勉強してもらうため週1回県外に勉強に行ってもらっています。毎週水曜日に抄読会を行い、年3回の学会出張は病院より旅費が出ます。私の所では初期研修を終えた3年クラスの方を2年に1名程度ならお引き受けできます。沖縄、九州、四国など暖かい遠隔地の大学と交流が持てたらと希望しています。「どうぞ、山形さ、ござってけらっしゃい。雪がすこたま降りますが……」

「日本の眼科」65巻10号27-28頁(1994年)『勤務医の頁』収載

注)上の記事は約6年前に雑誌に載ったもので、内容の一部に変更がありますが、「当病院の歴史」としてすこしは参考になるかと考えて掲載しております。

イメージ

新ふるさと旋回 山形県航空写真地図 より
(発行:山形新聞社  ISBN:4-89653-021-7)
山形新聞社の許可を得て掲載しています。

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