足利事件と冤罪
今回は、大変重い冤罪事件についての話題です。
足利事件は1990年5月、栃木県足利市内のパチンコ店で4歳の女児が行方不明になり、近くの河川敷で遺体となって発見された事件です。栃木県警は、翌年12月に当時幼稚園のバスの運転手をしていた菅家利和さんを逮捕しました。警察の逮捕、検察による起訴の決め手となったのは(1)女児の衣服についた体液と菅家さんのDNA型が一致するとの警察庁科学警察研究所の鑑定結果と(2)鑑定結果を示された菅家さんの自白でした。裁判所も一審の宇都宮地裁、一審の東京高裁、最高裁ともDNA型鑑定とこの自白を信頼できるものとして有罪の判決を下し、無期懲役が確定しました。
しかし、有罪の決め手となった(1)のDNA型鑑定は現在のものと比べると極端に精度が低いもので、それまでの裁判では証拠として認められていないものでした。(2)の菅家さんの自白にしても、警察からこの誤った鑑定結果をつきつけられ、脅迫や暴力的な取り調べで導かれたものでした。17年半後、菅家さんは釈放されました。菅家さんは、無実を信じる支援者や弁護士の努力によって、精度の高いDNAの再鑑定の道が開かれ、今度は逆にDNAが一致しないという結果がでたからです。
これまでもたびたび冤罪事件が報道されました。犯人とされ、拘置されていた人生を巻き戻しすることはできませんし、逮捕などによって被った精神的な苦痛は消えません。裁判所は、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則を守るべきです。さらに、こうした冤罪事件を発生させないための警察や裁判所の反省と改革が必要です。警察の取り調べのあり方や警察の体質そのものが冤罪を生み出しているという声もありますし、裁判官の資質や検察と裁判官との関係も問題になっているのです。(M)